東北地方太平洋沖地震【追記】

地震を感じたのは、休憩中のこと。腰の痛みが酷く、疲れもあるため、一瞬膝が抜けたのか?と思うも間も無く酷いゆれに転じた。ゆれがあまりにも長く、自席に戻るとPCが転倒するほどのゆれ。5Fであること、地盤の弱い築地であることから余計に酷く感じたよう。
weathernews、jorudan辺りのメジャーな情報原はなかなかアクセスできず、Twitterからの情報もログインできずでなかなか情報が得られず。この時既に携帯の音声、パケット通信とも繋がりにくく、安否確認に四苦八苦する事態となる。
震源がわかり、鉄道の運行情報を見て、『そのうち復旧するだろう』とたかをくくっていたが、余震や現地の被害状況を知るにつれ、いつ帰るアクションを起こそうか?となっていった。
家には二頭犬がいる。うち一頭はクレート内。帰らない限り給水もできない。嫁の人も同プロジェクトで働いているため、新宿まで?いや最悪橋本まででも歩いて帰る覚悟を決め築地を出発したのが19:00近く。もしタクシーが使えれば?ということで八王子の同僚も同行した。
まずはタクシーを捕まえようにも見つからずなので、東京駅に向かう。運行情報を見ながら移動していると、JRが運転取り止め発表が出ていた。帰れるんだろうか?という不安もあったが、やれるだけやるしかない。この時19:30位だが、帰宅難民と言える人で道がいっぱいになっていた。
そのまま神田、竹橋を経由し人だらけの道を進む。市ヶ谷でタクシーを捕まえたが、大渋滞のため暫く休憩後降車し歩く。四谷、新宿御苑を経由しやっと新宿。南側から西口方面に移動中、都営新宿線の復旧を知り、駅に向かうと京王線も復旧しているとのこと。既に22:30。
なんとか帰れるか?と思えはじめたのは笹塚を越えてから。橋本は停電で真っ暗という情報、信号も消えているとの話もあり不安があったが、橋本に着くまでにTEPCOの停電情報から停電が明けて来ていることを知る。とは言え、大島は5100戸停電ともあった。

橋本に降り立ち、周りを見渡しながら帰ると何事も無かったような様子に安堵しつつも、犬どもが無事か不安で堪らなかった。不安と言ってしまうと不安が更に大きくなりそうで黙々と歩く。家に帰り着き、玄関の鍵を開けると元気な二頭のバウが聞こえ一安心…が、異臭。PINKさん大小とも放出。でも無事だったからよかった。

今回の事で思い知ったこと、気が付いたこと、いっぱいありました。まさか災害時帰宅を使うことになるかとは思いませんでした。緊急地震速報等のプッシュ型情報サービスはなんでもないような時にしか役立たない。今回のような帯域を使い切ってしまうようなときは通知さえ無理。ラジオやテレビの方が余程役に立つ。また、状況に慣れてしまい判断力が鈍ることがあるよう。余震もかなり大きかったが、あれ?またか?程度しか感じなくなっていた。

今回帰宅するにあたり、ジョルダンの乗り換え案内の運行情報、2chニュー速+、まちBBS、Twitterの情報が最も役に立ちました。現在地、徒歩マップの確認にGoogle Mapsも手助けになりました。


【追記】
行動に危険がなかったか?リスクはなかったか?と考えるとノーとは言い切れないと思う。しかし、大事な家族=AQUA、PINKの安否の確認も早急にしたかったための強行軍ともいえるかもしれない。生きている限りリスクはある。そのため細心の注意を図りつつ、常に情報を収集しつつ、できる限りリスクを低減しつつの行動ではあったと思う。


18:30 帰宅する宣言
19:00 築地発
19:19 東京駅前
21:04 タクシー捕まえるが渋滞が酷く40分位休憩時間となる
22:34 京王新線新宿駅
22:49 幡ヶ谷駅
23:47 調布駅
24:19 南大沢駅
24:39 橋本駅から自宅に向かう途中
27:46 家の片付け等をして落ち着いた時間