Freedom for Computing

今、PCは一般化し、かなりの家庭に入り込んでいっている。また、携帯電話等のPCへの歩み寄りによって、いつでもどこでもコンピュータに接しているといった状況に近づいている。
さてさて、コンピュータはハードウェアからソフトウェアまで、これらを細分化すると更にいろいろな構成要素からできている。タイトルにある「コンピューティングの自由」とは何を意味するかというと、このソフトウェア部分での自由のことを言っている。ハードウェアはそもそも消費材であり、売り切りという考えがあるが、ソフトウェアはそうではない。これが厄介な問題を生んでいる。
「だって、買ってきたんだから全部僕の私のもの。どう使おうと自由じゃない?」といえば自由なのかもしれない。但し、この自由にはかなりの制約がついてまわるということも知っておくべきだと思う。ではどういった自由が制限されているのだろうか?
少し前に、wixは自宅のネットワークの対外接続環境をISDNからADSLへ変更し、高速化したのに併せ、自宅内サーバにてWebサーバを立ち上げようと思った。サーバのOSは、Windows 2000 Professionalであり、Apacheプロジェクトのhttpdを導入した。が、である。暫くし、クライアント向けWindowsでのApache等のWebサーバ運用はグレーというMicrosoft日本法人のコメントをどこかで見かけた。さて、こんな契約結んだことが無いが…と思う無かれ。Windowsを利用開始するときに画面に表示される文書に同意している筈。この文書、きちんと読むと「Microsoftは気分がのればサポートしますよ、クリティカルなところでは使わないでね。あとで更に条件は追加されるかも。で、何があっても基本的には責任取らないよ。」的なことが平気で書いてある。そう、そもそもコンピュータ上のソフトウェアを自由に使う権利が制限されているのだ。また、このような地雷は製品版ソフトウェアのそこここに埋め込まれている。
例えば、PL法などがあるが、ソフトウェアに対してどこまで有効か。Microsoftとの契約上は、問題があっても保証はしないということに同意している筈。今Windowsに問題があり、パッチのリリースを待っている状況なんていうのは、考え様によっては、Microsoftに集る乞食ということになり、非常にいやな感じがする。

一部の巨大企業にバッシングされるlinux, GNU, GPLRMSだが、頑張って欲しいと思う。